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見えないだけで月だってきっと燃えてるんだって
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「ねえ、井戸の中の蛙が頑張って外に出て海に行ったらどうなるのかな」

「んー、浸透圧で萎れて死ぬんじゃない?」

「例え話をしてるの」

「蛙と塩水といえばガルヴァーニ電流ってさ」

「今はこ・く・ごの話、おーけー?」

「あー、蛙が人間と同じ感性持ってるなら同じように考えるんじゃないか」

「同じって?」

「こんなでかい海の前になんて自分ってちっぽけなんだろうって」

「そう…よね…」

「でも、別にそれで落ち込む必要はないだろ」

「えっ」

「人間だって、大海を渡り切るのには1000年も2000年もかかったんだ、無理に渡ろうとしなきゃいい」

「なるほどねー、でも、井戸には戻れないわよね」

「そうか?」

「ちっぽけな自分にお似合いだなんて思えてきそうで惨めだもの」

「なるほどなー」

「そ、蛙は広い世界で独りちっぽけな自分を噛み締めながら生きるのでした、めでたしめでたし」

「めでたくはないだろ…」

「あら、井戸から引っ張り出した以上、ハッピーエンドを見せてよね、頼むわよ」



みたいなラブコメを読みたい、できれば水谷フーカ絵で
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「やえかのカルテ」というマンガで獣医を志す女の子が屠畜場を訪れるエピソードがある

自分たちが汗を流して救うのと同じはずの命が人間の食欲を満たすために殺される現場を見て、芹奈はいろいろと考えるわけです

詳しい顛末を書くのは避けるけど、まあ屠殺現場を見れば人間誰だって似たようなことを感じると思う

奪うために命を育てるのは人間のエゴじゃないのか、とか

あるいは、これからは命に感謝して肉を食べよう、とか

そう感じないのを感受性の欠如だというかはおくにせよ、殺される牛を見るまでその命の重さに気付かないのだって想像力の欠如じゃないのか


SFの世界じゃないのだから、僕らはどういう形であれ有機物からじゃないと栄養を摂取できない

その過程を僕らが知らないままに多くの命を摂取して生きているのが人間だ

別に、だから命に感謝しましょうだなんて言うつもりはない

操縦桿を握るだけが命を奪う、ということじゃないんだって気付けば少しは世界も変わって見えるのかなってだけで



余談だけど、やえかのカルテはぜひ読みましょう、狐とアトリに収録の後日譚も含めて
見ざる、聞かざる、言わざる、という言葉がある

格言の扱うテーマは置いておいて、三猿の話をしよう

たとえば、何故猿が三匹必要なのか、という話

瞼を閉じて、耳をふさぎ、口を閉ざすのに必要な手はたったの二本だ

悪しき言葉を口にしないために両手で口を覆う必要が本当にあるのか、とか

あるいは、両手の塞がった猿はいつ飢えに負けてその手を放すのか、という話

耳なし芳一のように手を放した瞬間に悪に襲われるかもしれない

言葉を封じるために口を押えていたつもりが、口にした果実が毒なのかもしれない、とか


そして、悪しき世界に接しないためにすべての世界を拒絶する必要があるのか、という話


凶星がベテルギウスであれば冬の夜に空を見上げなければいいだけだ

でも、もしある少年にとって、それが太陽だったら?

太陽の照らす世界を見てもいけないのだろうか

なら、太陽の光を浴びて輝く月は?

ずっと目を塞いで部屋の中で生きていた時にきっと気付くのだ

ああ、僕が口にしてきたパンもワインも太陽の恵みだったのだ、と

そして少年は頭に銃口を当てて思うのだ

禍々しいあの星が僕を今まで生かしてきたのだから、占い師の言うことなんて嘘だったんだ、と


世界は案外シンプルで

そんなメガネをかけているから複雑に見えるんだよ、ってお話
涼宮ハルヒが野球場で味わった衝撃を僕は図書館で味わったのだ

どれだけ貪欲であろうと、この図書館にある本を読み尽くすことすらできないのだ、と

それまでに広大な知識の海を自ら探索するのは無謀ではないのか、と

気付いてしまった僕が選んだのは逃避だった

そんな海などありはしないのだ、と、ただの幻想だったのだ、と思い込んだ

海から目をそむけることはできたが、その海に飛び込む人たちを無視することはできなかった

先の見えない海に船を出す彼らに問うたことがある

「どこかにたどり着ける保証もないのになぜそんな無謀なまねをするんだ」

彼らの答えは単純だった

「あのコロンブスが航海に出るときに彼の前に広がってたのは、無限に広い海だったのだ」

それは、と僕は唇をかんだ

彼ひとりの成功の陰でどれだけの犠牲があったと思っているのだ

どれだけの航海士が夢に破れ、あるいは海底に沈んでいったと思っているのだ

思うだけで、僕は叫ぶことはできなかった

ただ陸地で彼らの帰りを待っているだけの僕にそんな資格はないと思ったのだ

航海から帰ってきた彼らの旅路を聞くことはあった

途中で嵐に遭っただのそういった話を聞くだけで僕は航海に言った気になれた

そうしているうちに一種の諦念が僕を巣食い始めた

いいじゃないか、どうせ大陸を見つけることなんて誰にもできないんだ

結果が同じなら労力を使わずにここでこうやって彼らの話だけ聞いていればいいじゃないか


懲りずにまた航海に出る彼らの眩しい笑顔を見送りながら僕はただその憧れを押し殺した



昨日のpostの続きでした
たとえば美術館に飾ってある有名画家の絵画が、ある日精巧な贋作にすり替わっていたとして何人が気付くか

あるいは、足繁く通っている人間ならすぐに気付くかもしれない

だが、初めてその美術館を訪れた人がキャプションと絵画を見比べて違和感を覚えるだろうか

まずもって模倣品というのは、オリジナルを知らなければレプリカであることが評価できないものだ、ということで


さて、ここで、代替不可能性とは何なのか

上の例を引けば、他人がどれだけ模造しようと、誰が見ても贋作であると気付くような作品を作れることですかね

芸術の世界においてそれに価値が見いだされるのはごく妥当なことであるが、翻って人材に当てはめるとどうなのか

「お前がいなくなるとこのプロジェクトが立ちいかなくなるんだ」と言われるような人材にどれだけの価値があるのか

「いなくても構わない人間」よりは「いないと困る人間」の方が価値があるのは当然だとしても

実際にいなくなったときに、その埋め合わせを用意できるのと用意できないのとではどちらが価値があるのだろう


うーん、世の中がどう価値を見出すかは分からないけども、僕は代替不可能な人間にはなりたくないなぁ、と

だって、気軽に倒れられないってそれはもう大変なことだよ

そこまでしてそんなポストを得る価値があるとは思えないのです

ちょっとね、やばいかもな、と思ったので記事にしてみました

それだけです
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