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見えないだけで月だってきっと燃えてるんだって
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「誰よりも頑張ったという自負はきっと貴方の糧になるから」

スポーツ漫画では挫折を味わった主人公に投げられるような言葉だけども

究極的な目的の一つなのではないかと、最近になって思う

例えば、なんとしてでも越えなければならない壁が現れた時に

自分の限界を知っていること、そこに到達する術を知っていることは大きな武器になる

壁にぶつからないための判断を下すには、越える必要のない壁にぶつかっておく必要があるということ

試行錯誤は出来る時にしておかないと、必要になった時にはいつだって時間の方が足りない

そして、越える必要のない壁を越えるためのモチベーションを生み出すのに最も適しているのが競争者の存在なのだということ

越えている人がいるのであれば、彼が越えたのであれば、自分も越えられるはず

そして、誰も越えていないあの壁を誰よりも早く

壁を越えたその先で、もしくは壁の前で立ち尽くしたその時に、手の中に何が残っていなくてもいい

その手は、まだ見ぬ壁を掴むことができるのだから


なんて、壁を越えた事のない僕が言っても説得力がないのだけど
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麻雀を打つ時に理牌の癖、というのがある

色ごとに分けて並べるのが一般的だろうが、そうでない人も少なくない

完成形に入らなかった牌は先に寄せておくだとか、あるいは危険牌を独立しておいておくだとか

個人的には不要牌は右にまとめておくのが性に合うのだけど、切り順を間違えることがしばしばある

たとえば配牌の時点で端ドラがあれば雀頭になることを期待して取っておくことくらいは考えるわけで

でも局が中盤に進み、一向聴まで手が出来るとそんなことは忘れて浮いてる牌だーって切ってしまうこともあり

結果論から言えば、そのドラ切りが失着になることは少ない気はするのだけども、中盤に手なりでドラを切るな、という話ではある

多くの局面で慎重に考えたところでそのドラは切ることになるのだとすれば、間違っているのは最初の判断なわけで

極端な話をすれば「配牌でドラを使えなさそうなら即切り、10巡目以降で裏目って引いたら和了放棄」くらいの基準を作ってしまえばよいのだ

それが放銃率の低下につながらずとも、少なくとも放銃打点は確実に下がるのだから


まあそんな単純な話で勝てないのが麻雀という遊戯なわけだけれども

手作りについて近視眼的になり過ぎて危険牌を平気で打ってしまうのはあまりよくないな、という人生訓でした

中学生の時分、志賀直哉の『范の犯罪』をどうしてかとみに気に入っていた

愛とか責任とかそういう重いテーマではなく、"偶発的に"人を殺してしまう、という題材そのものが厨二心をくすぐったのだ

范が妻を憎むに足る理由は作品内で掲示しているが、さて范が憎むべき相手が他人ではなく自分であったら彼はどうしたか

罪を償わねばと思うものの切り出せず、罪悪感ばかりが身を苛む時に彼が綱渡りの台に立った時に何を思うか

まず一歩目、踏み出した足が外れかけよろめいた彼は生への執着を感じるだろう

だが二歩目、三歩目と歩を進めるうちに彼には綱が見えなくなっていく

文字通り空に浮きながら范は自分の罪と対峙し、のうのうと生き延びる自分が許せなくなる

殺す術は簡単だ、少し足を滑らせてしまえばいい、そうすれば"不幸な事故"で終わる

………………

……結論から言えば、彼は自分を殺すことなんてできなかった

生きたいから、ではなく、殺す勇気がなくて、足を空に踏み出すことなどできなかった

しかし、これはナイフを投げるのをやめればそこまでで終わる曲芸ではない

生き延びるためには向こう側の台までたどり着く必要がある

引き返そうにももう真ん中まで歩いてきてしまっている

そして厄介なことに綱渡りというのは一度でも止まると途端に体が揺れ出すものだ

現実に戻った范の前には長い長い綱が彼をあざ笑うように待っている


小説風に今の心境を

歩き煙草をした挙句、吸殻を道に捨てる人を見ると

心優しい僕などは「落し物ですよ」と拾ってあげたくなりますが

生憎、ガムを道端に吐き捨てる輩に同じことをするわけにもいかず

そうして道端にトラップが生成するのを見届けることになるわけです


実際にそうやって目にすれば憎むべき相手もはっきりするというものですが

ガムを踏んだ時にはたいていの場合、靴とガムを呪うなどということに陥りがちで

踏んだ自分の不注意もあるせいでどうしても憎み切れず

八つ当たり気味に靴を地面に擦ってみたり、縁石の角を蹴りつけたり


靴にしてみればガムと付けられた上に痛い目に合ってまさに踏んだり蹴ったりなわけで

何ていうかまあ当事者って不幸だよなって思うのです

まあ自分だってガムを踏んだ時に靴に優しくする余裕は持ち合わせちゃいないのですけど

もう少し憎むべき相手は他にいる、ということに思いを巡らす思考回路は必要なのかなって
天帝シリーズを愛読している読者であればご存知のことと思いますが

「疾風に勁草を知り、厳霜に貞木を識る」という故事成語があり

まあ読んで字の如く厳しい環境下でこそ真価は見極められるって話なのですが

そりゃ人材を登用する方から見ればふるいにかかって残った優秀な逸材だけ分かればいいけども

残った方だって残りたくて残ったわけじゃないだろうに、とか思うこの頃で


風が吹いて周りの草がなぎ倒されちゃって自分だけ残ってどうしようって状況で

人間がこっちに歩いてきたと思ったら刈られて建材に使われるわけです

まあ役に立ててるからただ死ぬよりは幸いって考えもあるでしょうがそれって社畜精神ですよね…

個人的には風に流されて死んだふりをしつつちゃっかり生き延びる人生の方がいいですね



いや何小難しい話ではなくポケモンの厳選見てると物悲しくなる性なもので
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